ベクトル束とは何かを考える



 空間研究の基本的な考え方の一つに,空間の上の関数を観察することによって空間の情報を得ようとするものがあります.ここでいう「関数」とは,空間 M の各点に対して実数値や複素数値を対応させるもの,あるいはベクトルや行列を対応させるものなど,様々な意味合いを持ちます.このような関数を空間の上で考えるにあたって,土台となるものの一つがベクトル束です.

第1節 幾何的なベクトル束

 まずは実数上の関数について考えてみます.現代数学において,実数から実数への連続関数とは,連続の条件を満たす写像
 \[ 
f:\rea\to\rea
 \] 
のことです.このような関数 f に対してはグラフというものが考えられます.
 現代数学において,関数とはある種の対応のことであって,グラフとは異なるものです.グラフは単に関数を表現するための幾何的対象を表しています.したがって関数を解析する場合はグラフが主体になるわけではありません.

 しかし幾何学の目的は関数の研究ではなく,関数から空間の情報を得ることです.そういった目的の上において,関数を単なる対応であると考えるのはあまり有用ではありません.

 そこで,幾何学ではグラフと関数は同一のものであるという視点に立つことがあります.これによって関数も幾何学的対象の一つであると考えることができるようになります.グラフが研究の主体になるわけです.

 そのときに重要になるのは,グラフはどこに存在するものかということです. $ f:\rea\to\rea $ のグラフは $ \rea $ の中に存在しているわけではなく, $ \rea\times\rea $ という平面内に存在するものです.複雑な空間上の関数というものを幾何学的視点から考察する場合,関数の存在場所の議論は重要になってきます.この存在場所こそベクトルバンドルと呼ばれるものであり,そしてグラフは切断と呼ばれる概念に一般化を遂げていきます.

 これらの概念を理解するために,まずは実数値連続関数 $ f:\rea\to\rea $ とそれが存在する $ \rea\times\rea $ という空間をもう少しよく観察してみましょう.

 関数 $ f:\rea\to\rea $ は言わずもがな, $ \rea $ の各点に対して $ \rea $ の値が対応するものです.

 幾何学的には $ \rea $ の各点に $ \rea $ が乗っかっていて,そして各点においてその上にある $ \rea $ の点を一つ定めていって出来上がるものが関数(のグラフ)です.

 この考え方におけるグラフは $ \rea\times\rea $ 内の ( x , f ( x ) ) という点のなす集合と言っても変わりはありませんが,関数の存在場所を $ \rea $ が繊維状に集まったような空間(バンドル)であると考えることに意味があります.これが $ \rea $ が束になった, $ \rea $ -束と呼ばれるものです.
 これはベクトル束というものの最も簡単な例の一つで,自明束というものになっています.後に解説するように一般の空間上の「関数の存在場所」を考える場合,非自明なベクトル束というものも登場してきます.

 自明な $ \rea $ -束というのは, $ \rea $ の束が土台の空間の $ \rea $ に対してねじれていないというものです.現状, $ \rea $ の各点に対して $ \rea $ がのっかって束のようになった空間が $ \rea $ -束であると考えて下さい.
 そして関数とは,この $ \rea $ の束を横に切断したものです.これが関数のグラフに対応するものになっています.
 他の例として,実数の各点に対してベクトル空間 $ \rea\ef 2 $ の点を対応させるような関数 $ f:\rea\to\rea\ef 2 $ が存在する場所は, $ \rea $ 上の $ \rea\ef 2 $ -束と考えることができます.
 そして関数 $ f:\rea\to\rea\ef 2 $ は,この $ \rea $ 上 $ \rea\ef 2 $ -束の切断であると考えられます.
 もっと一般の数学的対象を値に持つような $ \rea $ 上の関数も束として捉えることができます. $ f:\rea\to{\rm GL}(\rea) $ のように,正則行列の集合 $ {\rm GL}(\rea) $ を値に持つような関数の存在場所は, $ \rea $ 上 $ {\rm GL}(2,\rea) $ -束になります.
 次に $ \rea $ ではなく任意の多様体(空間) $ M $ に対して定義される関数についても考えてみます. $ M $ 上の実数値関数とは, $ M $ 上の各点に対して実数値を対応させるものであり,したがって $ M $ の各点の上にある実数直線 $ \rea $ の点を定めるものと言い換えてもよいことになります.この考え方は $ \rea $ であろうと一般の $ M $ であろうと変わりはしません.すなわち $ M $ 上の実数値関数の存在場所として $ M $ 上の $ \rea $ -束を考えることができます.
そしてこの $ \rea $ -束の切断こそが $ M $ 上の関数であるという見方をすることができます.
また, $ M $ 上の実数値関数に限らず,あるベクトル空間 $ V $ に値を取るような $ M $ 上の関数の存在場所も,まったく同じように $ M $ の各点に $ V $ が乗っかって束のようになっているようなものであると考えることができます.これによって $ M $ 上のベクトル束が得られます.
現状,ベクトル束のイメージ図は多様体 $ M $ に対して $ V $ が平行な束になっているようなものになっていますが,一般にベクトル束というものを考える場合,この束がねじれている場合もあります.束がねじれているという状況が発生してはじめて,関数の幾何的一般化というものが通常考えられるグラフよりももっと複雑になっていることが分かってくるのです.関数のグラフというのは平行な束の切断として得られる「特別な場合」だったのです.

 ベクトル束がねじれているとはどういうことか.実際に例を挙げてみます.多様体 $ M $ を円周 $ S\ef 1 $ とします.
まず $ S\ef 1 $ 上の実数値関数の存在場所としての役割を果たすのが, $ S\ef 1 $ 上の平行な(自明な) $ \rea $ -束です.
これは多様体としては開円筒と同相になっています.
そして $ S\ef 1 $ 上の実関数はこの自明な $ \rea $ -束の切断として得ることができます( $ \rea $ 上の周期関数と捉えることもできる).
しかし, $ S\ef 1 $ 上の $ \rea $ -束というものは開円筒のようなものだけではなく, $ \rea $ が $ S\ef 1 $ 上の一周するうちに上下反対になってしまうようにねじれている場合もありえます.このようなねじれによって出来上がる多様体は開円筒とは同相ではありません.これは開メビウスの帯と呼ばれるものと同相になっています.
このねじれた $ \rea $ -束のゼロではない切断は一定にはなっていません.つまり切断は必ず(イメージ図において) $ S\ef 1 $ と交わります. $ S\ef 1 $ 上の平行な $ \rea $ -束の場合は一定の切断(真横に切るような切断)が存在するので,ねじれた束の切断として得られる関数全体は平行な束から得られるものとは異なるものになっています.

ベクトル束というものは基本的に,多様体の上の何かしらの連続的な変化を捉える際にでてくるものです.その変化の特性を調べることによって底空間の情報を得ることを目的とするわけですが,変化の特性というものはベクトル束がどのような形状をしているかによって解析するのです.実際に多様体論における標準的な例を挙げてみたいと思います.

微分可能多様体というものを考えるさい,多様体の各点の上には接空間と呼ばれるベクトル空間が対応します.すなわち空間全体でこの接空間を束として集めることによって,接ベクトル束というものが構成されます.
この接ベクトル束の切断は,すなわち多様体 $ M $ 上の各点に接ベクトルを対応させる関数です.言い換えると空間上の接ベクトル場を表します.
空間上の点を移動することによって接ベクトルがどのように変化するのかを表しているのが接ベクトル場です.そしてこの接ベクトル場の特性は構成された接ベクトル束を調べることにより分かってくるのです.例として $ M $ が $ \rea\ef 2 $ のような「平らな」空間の場合,接ベクトル束は平行な束(自明束)になります.つまり接ベクトルが全て同じ方向を向いているようなベクトル場が $ \rea\ef 2 $ の上には存在します.
しかし球面 $ S\ef 2 $ の場合,接ベクトル束はねじれてしまっています.自明束にはなりません.そのため $ S\ef 2 $ 上の接ベクトル場には必ず接ベクトルが $ 0 $ 担ってしまうような点が存在します.それはちょうど開メビウスのときと似ています.これが意味することは, $ S\ef 2 $ 上の任意の接ベクトル場は必ず渦や発散点を持つということです.
このような事実が,ベクトル束を観察することによって分かるのです.この事実一つとってもベクトル束というものを幾何的に調べることが重要になることが分かってくるかと思います.


第2節 代数幾何的なベクトル束

 代数幾何学で扱われるのは,代数多様体と呼ばれるものです.これは①で扱った多様体とはまったく異なるものです.代数多様体は多項式の解空間として与えられるようなものですが,代数的な情報を含んだ幾何的対象として扱うために,この空間の上に直観的なものとは異なる「ザリスキ位相構造」というものが定められています.多項式が正則関数の全てであるという考え方に立って解空間を扱うのです.①で出てきた多様体は微分可能な関数を土台として扱っていたので,この辺が代数多様体と微分可能多様体との違いとなって現れています.しかし代数多様体と微分可能多様体(あるいは正則多様体)との間にはいくつもの類似点が存在します.その類似点を明確にするために微分可能多様体で扱われていた概念をさらに抽象化することによって代数多様体にも適用しようとする試みが存在します.そのような試みがすなわち代数幾何学という分野になっているわけです.

 さて,微分可能多様体(以後,単に「多様体」と書く)と同じように代数多様体を扱う過程の一つとして,多様体上の関数を調べることで情報を得るという操作を抽象化し,同じような理論を代数多様体に対しても構築しようとする試みが発生します.その流れの中で,いままでベクトル束と呼ばれていたものは「層」という概念へと一般化されていきます.

 多様体上の関数は各点に値を対応させるものでしたが,抽象化の際,点から値への対応という考え方さえも捨て去ります.関数の存在場所として真に本質的な性質は何かを考えるのです.多様体での話を代数多様体へ一般化するときに鍵となるのは開集合です.2つに共通するものは位相構造の存在,つまり開集合の存在だけなので,関数の概念も開集合を橋渡しの道具として代数多様体へ輸送しなければなりません.

 そこで多様体上の関数全体の環が満たす開集合に関する性質をあげてみます.まず多様体上の関数は,多様体の各開集合 $ U $ 上に関数環 $ C\ef 0(U) $ を対応させています. $ C\ef 0(U) $ は $ U $ から $ \rea $ への連続関数全体の環です.
また,開集合上の関数は,より小さい開集合に「制限する」という概念を持ちます.
さらに2つの開集合上の関数は「はり合わせる」ことが可能です.
結局,多様体 $ M $ 上の実数値連続関数とは,次のような情報を持つものであると考えることができます.
(1) $ M $ の全ての開集合 $ U $ に関数環と呼ばれる環 $ C^0(U) $ を対応させるもの(この対応を $ \mathcal C^0 $ と書く).
(2) $ V\subset U $ のときの「制限する」という概念 $ C^0(U)\to C^0(V) $ .
(3) 各 $ C^0(U) $ の要素たちの貼り合わせ条件
関数の本質は(2)(3)のような概念を持った, $ M $ の開集合から環の集合への写像 \[ \mathcal C^0:U\mapsto C^0(U) \] であると考えることができます.そして各開集合に割り当てられた $ C^0(U) $ こそが, $ U $ 上の実連続関数の存在場所です.そして環 $ C^0(U) $ の要素は関数,すなわちベクトル束の切断です( $ C^0(U) $ は $ \rea $ -ベクトル空間にもなっている).

 関数全体というものが上のような3条件(1)(2)(3)を情報として持つようなものであるという視点に立つと,一般化の道筋が見えてきます.上の3条件のうち(2)(3)を情報として持つような,開集合から環への対応さえあれば,それは関数全体という概念を一般化したものであると捉えることができるようになります.さらに言うなら,開集合から環への対応である必要もなく,開集合からベクトル空間への対応でも良いですし群への対応でもなんでもいいわけです.このような考え方によって生まれる概念が層というものです.層はベクトル束の一般化であるという視点からその定義を眺めて見て下さい.抽象的で,なおかつこの記事ではここまで数学的に厳密な事柄にあまり立ち入った説明はしていないので,以下の層の定義を無理に細部を理解しようとしなくても大丈夫です.単にこんな感じになっているということを眺めてくれれば.

■層の定義
 位相空間 $ M $ に対して次のような情報が与えられているとする.
 ・ $ M $ の各開集合 $ U $ に対して環 $ \mathcal C(U) $ を割り当てる対応 $ \mathcal C $
 ・開集合の包含 $ V\subset U $ に対して次の条件を満たす「制限」と呼ばれる準同型 $ \rho^U\f V:\mathcal C(U)\to\mathcal C(V) $
   (a) 任意の開集合 $ U $ に対し $ \rho\ef U\f U={\rm id}_{\mathcal C(U)} $
   (b) $ W\subset V\subset U $ のとき, $ \rho\ef V\f W\circ\rho\ef U\f V=\rho \ef U\f W $
   (c) 開集合 $ U $ と $ U=\bigcup\thr\lam\in\Lam U\f\lam $ を満たす開集合族 $ \jb{U\f\lam}_{\lam\in\Lam} $ に対して,
      (c1) $ \forall\lam\in\Lam\; \rho\ef U_{U\f\lam}(s)=\rho\ef U_{U\f\lam}(t) $ ならば $ s=t $
      (c2) 各 $ s\f\lam\in\mathcal C(U\f\lam) $ に対し, $ \rho\ef U_{U\f\lam\cap U\f\tau }(s\f\lam )=\rho\ef U_{U\f\lam\cap U\f\tau }(s\f\tau ) $ ならば \[ \exists s\in\mathcal C(U)\; \forall \lam\in\Lam\; \quad \rho\ef U_{U\f\lam }(s)=s\f\lam \]  このとき, $ (\mathcal C,\rho ) $ を $ M $ 上の環の層と呼ぶ.なお「環」の部分は「集合」「群」「ベクトル空間」という言葉に変えてもよい.その都度「集合の層」「群の層」「ベクトル空間の層」などのような名前になる.

定義は複雑ですが,(a)(b)(c)の部分は制限写像というものの性質を抜き出して抽象化したものであると考えてくれればOKです.幾何的なベクトル束はベクトル空間に値を取るような関数の存在場所であり,開集合 $ U $ 上のベクトル束の切断全体の集合は $ C^0(U) $ の積による作用によって $ C^0(U) $ -加群となります.したがってベクトル束の,層の言葉を使った正統的な一般化は $ \mathcal C $ -加群の層(各開集合に $ \mathcal C(U) $ -加群を対応させるもの)にある種の有限条件を付加したものになります.直線束は対応する加群の次元が1であることを示しています.

 このように層の言葉を使ってベクトル束を一般化することにより,代数多様体に対しても,多様体のときと同じように振る舞う「関数の概念」を構築することができるようになります.これが代数幾何学におけるベクトル束や直線束というものです.

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