距離を変えると三角関数も変わる



 第0章 序説-距離とは 

 距離は平面あるいは空間の中の2つの点を結ぶ直線の長さと解釈されるもので,数学的には,2つの点に対して非負の実数値を定めるある種の規則のことと解釈できます..


 平面 R2 上のユークリッド距離 dE は,2点 a=(a1,a2),b=(b1,b2)R2 に対して
とするような関数 dE のことです. 

 マンハッタン距離 d1 は,2点 a=(a1,a2),b=(b1,b2)R2 に対して 
となるような関数 d1 のことです. d1 が定められた平面においては,2点の距離はすべて d1 で測ることになり,ユークリッド距離で生きてきた私たちには,なかなか馴染めない世界になるのです.例えば  ( 0 , 0 ) , ( x , y ) の間の距離は 
です.必ずしも,2点を結ぶ線分の(わたしたちが想像する)長さだけが距離とは限らないのです.

 このように平面 R2 ひとつとっても,そこに定められる距離は千差万別です.2点に実数値を割り当てる関数で,距離と呼べるに足る性質を満たすようなものを持ってくれば,どんなへんてこなものでも距離として扱えるようになり,ユークリッド幾何において距離を使って定義していたものの類似や一般化を統一的に考えることができるようになるのです.

 また,距離の概念は平面 R2 に限らず,もっと高い次元の空間 Rn ,整数,有理数などにも定めることができます.あるいはもっと抽象的に,関数の集合・結び目の集合・etc...のように,距離というものはどんな集合に対しても定めることができます.以前定義したハウスドルフ距離は R2 上の図形(コンパクト集合)の集合に対して定まっていました.つまり2点を結ぶ線分といったものが存在しないような集合に対しても距離は定まるのです. 


今回は R2 に定まる距離を調べ,そしてユークリッド距離とは異なる距離が定まった世界における【円】【弧長】そして【三角関数】を見ていきましょう.


 第1節 R2 上の距離と曲線の弧長 

 平面 R2 上の曲線の弧長は, R2 に定められた距離によって決めることができます.曲線の弧長を定義したときのことを思い起こしてみます.

 曲線 C の弧長を定義する際,曲線 C を細かく分割し,それぞれの微小パーツを直線とみなすということをしていました.そして微小直線の長さを三平方の定理に従って求めていたのです. 


 なぜ微小直線の長さを三平方の定理によって定めるのでしょうか? その理由は人間界において,ものの長さを測量するという目的で使われていた距離が,平面上の面積概念と親和性のある長さの概念であるからだと考えられます.

 微小直線の長さ dx2+dy2 はユークリッド距離によって決めるものと勝手に定められており,それによって曲線全体の長さもユークリッド距離によって測られていたのです.

 平面 R2 に別の距離を定めれば,微小直線の測り方も変わり,結果曲線の弧長の定義も変わってくるはずです.仮に R2 にマンハッタン距離 d1 が定められていたとしたら,微小直線の長さは 
となるはずです. 


そこで R2 に一般の距離 d が定められた世界における曲線の弧長を定義してみましょう.以下,距離 d が定められた平面 R2(R2,d) と書くことにします. (R2,dE) と書いたらユークリッド平面を表すことになります.

 第2節 (R2,d) における曲線の弧長 

 (R2,d) 上の曲線
について考えましょう.今回は ) , ) を連続関数とします.このとき C の弧長をどのように定義すればよいのか考えてみましょう. R2 上に定められた2点間の距離のルールが,通常のユークリッド距離ではないため,弧長の定義もそれに伴って変わることになります. 

 距離 d によって定義される曲線の弧長のことを【 d -弧長】と呼ぶことにします.

 先の話では,  x ( t ) , y ( t ) を微分可能関数とし, dx dy といった少し曖昧な対象を使って曲線の弧長を定義していましたが,今回はもう少しちゃんとした定義を与えなければなりません.なぜなら,距離 d は一般にきれいな形のものばかりではなく, dx , dy をあいまいに扱うのに限界があるからです.

 例えば R2 上に 
のような距離が定められている場合,いままでの dx , dy を使った考え方をそのまま進めてしまうと,最終的に曲線の弧長を表すものとして 
という謎の式が現れてしまい,足踏みしてしまうのです.

 そういうわけで,もう少し汎用性のある弧長の定義が必要になるわけです.例によって厳密なものは若干面倒なところもありますが,やってみましょう.

 R2 上の,実パラメータ t によって記述された曲線 C ( t ) = ( x ( t ) , y ( t ) )  ( ≦ ≦ ) を n 個のパーツに分割します.パラメーター t の属する区間 [ ] を n 等分割すると,それに伴って曲線 C も分割されます. 


 [ a , b ] を分割したときの分割点は, 
と表されます.ここで Δt は [ a , b ] を n 等分したときの,一つのパーツの長さ Δt = ( b - a ) / n です. 

 そして,それぞれの微小パーツの長さを距離 d によって測るものとします. 


このとき微小パーツの長さすべてを足し合わせた 
C の d -弧長の近似になっていると考えられます.そして分割数 n を大きくしていったときに定まる値を曲線 C の d -弧長と定義します.つまり 
です. L[d] は d -弧長を表す記号とします.正確には,この極限が存在するときに限り曲線 C の d -弧長とします.

 この定義は曲線 C を定義する関数 x ( t ) , y ( t )  が微分可能でなくても適用できるものですが,仮に ) , ) が微分可能だった場合は,平均値の定理により 
となるような実数値 t1k が存在します. 


 y の方についても同様に 
となるような t2k が存在します.よって曲線の d -弧長は次のように書き直すこともできます. 
式は長くなりますが,距離 d が具体的に与えられたときに,この式によってリーマン積分の形に持っていけることがあるのです.今回出てくる例はすべてそうなっています. 

 第3節 平面に定める距離と弧長の式 

 第3.1節 Lp 距離 

 Lp 距離というのは, R2 の2点 (x1,y1),(x2,y2) に対して 
と定まる距離です. p は正の実数としています. 特に = 2 のとき, 
であり,これはユークリッド距離 dE と同じものです.したがって 
です.また = 1 のときは 
であり,これにはマンハッタン距離やタクシー距離といった名前がつけられています. 

 次に (R2,dp) における曲線の dp -弧長の式を考えてみましょう.先程の話から, (R2,dp) 上の曲線  C ( t ) = ( x ( t ) , y ( t ) )  ( ≦ ≦ ) の dp -弧長は, ) , ) が微分可能関数であれば, 
と書けます.右辺を dp に定義に従って変形すると, 
となります.右辺はリーマン積分の定義の形をしているため,最終的に次のようになります. 
これによって曲線の dp -弧長を測れるようになります.

 例として, 
dp -弧長を計算してみましょう. 


今回この曲線 S は円とは呼ばないことにします.まず, 
t で微分すると, 
となって,これを dp -弧長の定義式に代入して積分を計算していくと, 
となります. あるいはユークリッド平面 (R2,dE) における三角関数 cos , sin や円周率 π を使うと, 
とも表せます.

 p の値によって S の dp -弧長がどう変化していくか,値を観察してみましょう. 


 また,少し特殊な関数を使うことになりますが, = 1 / n のときはガンマ関数を用いて 
とも書けます. 

 = ∞ のときの L -距離というのは次のようなものを指しています. 
ここで,2つの非負の実数 , b に対して,もし a ≦ b なら, 
となります.すなわち 
であり, 
ともかけることが分かります. 

 第3.2節 ガリレオ距離 

 ガリレオ距離 dG とは 
と定義される距離です. x 成分または y 成分のみしか取り出さない奇妙な距離です. 


この距離によって曲線  C ( t ) = ( x ( t ) , y ( t ) )  ( ≦ ≦ ) の dG -弧長は,曲線が y 軸に平行な部分のみ |y2y1| によって測られ,それ以外は |x2x1| で測られることになります. 具体的には次のようになります. 
つまり x' ( t ) ≦ 0 であるような部分では | x' ( t ) | を積分し,それ以外では | y' ( t ) | を積分することを表しています. 



 第3.3節 双曲距離 

 ユークリッド距離に対して,次のように定められる距離を考えます. 


この dH を双曲距離とこの記事では呼ぶことにします(一般的に使われる名称ではない).

 (R2,dH) 上の曲線  C ( t ) = ( x ( t ) , y ( t ) )  ( ≦ ≦ ) の dH -弧長も Lp -距離の場合と同様の考察により, x ( t ) , y ( t ) が微分可能関数であれば, 
となります. 


 第4節 単位円を再定義する 

 いま,平面 R2 に何かしらの距離 d:R2×R2R0 が定められているとします.もちろん d は普通のユークリッド距離とは限らないものです.

 距離が平面に定められると,【等距離図形】という概念を考えることができるようになります.これはユークリッド距離の定められた平面において円と呼ばれているものです.
 
 一般の (R2,d) において,原点から 1 の距離にある図形のことを【d-単位円】と呼ぶことにしましょう.

【単位円の定義】
(R2,d)d-単位円 Cd を 
と定義する. 

 例を挙げてみましょう.平面 R2L6 -距離 
が定められているとします.そうすると単位円は 
を満たすような点 ( x , y ) の集合ですから,次のようになります. 


d6 の 6 の部分を 7 , 8 , 9 と上げていくと,dp-単位円はどんどん四角くなります.

 d-単位円は,いかなる距離 でも図形として現れるくれるわけではありません.例えば 
のように定められた距離を考えると, d(a,b) は必ず1未満になるので, d-単位円は空集合になってしまいます.

 実は単位円を一般の距離 d に対して定義できたことによって,いくつかの距離に対してそれに伴った三角関数を定義できるようになるのです.次の節でそのことについて説明してみましょう.

 第5章 (R2,d) における三角関数 

 第5.1節 ユークリッド距離( L2 -距離)における三角関数 


 ユークリッド距離 
この距離から定義される dE-単位円は,下図のようなおなじみの形になります. 


この dE-単位円を座標 ( 1 , 0 ) から出発して dE -弧長 θ だけ進んだ点の座標が cos θ , sin θ と定義されるのでした.今回はユークリッド距離から定義される三角関数ということで,これらを cosEθ,sinEθ と書くことにしましょう.

 このような定義を他の距離に対しても行うことができれば,"変な"三角関数が得られるかもしれません.

 第5.2節 L1 距離における三角関数 

 それでは,ユークリッド距離意外の距離ではどのようになるのか調べてみましょう.最初に登場していただくのはこの距離です. 
d1-単位円は次のようになります. 
これは,すなわち | x | + | y | = 1 を満たす点 ( x , y ) の集合です. Cd1 をプロットすると次のようにダイヤモンド型になります. 


この世界でも三角関数を考えることができます.ユークリッド距離のときと同じように考えれば, ( 1 , 0 ) から出発して,このダイヤモンド型の単位円を反時計回りに θ だけ進んだときの座標がこの世界における cos , sin に当たるはずです. 


この三角関数を cos1θ,sin1θ と表記することにします.この三角関数の特殊値を見てみましょう.

 例えば, ( 1 , 0 ) から 2 だけ進むと ( 0 , 1 ) に到達するので, 
となる……と言いたいところですが,ここで注意が必要です.この世界の距離は d1 ですから, ( 1 , 0 ) から ( 0 , 1 ) までの距離は 2 ではなく,  2 です.したがって正しくは 
です.一般の距離が定められた平面や空間で議論するときは,間違ってユークリッド距離で計算しないように注意しなければいけません. 


具体的にこの cos1θ,sin1θ をグラフに描くと下図のようになります. 


この三角関数は,ユークリッド距離における三角関数と似たような性質を満たします.例えば 
などです.また, 通常の三角関数において加法定理と呼ばれていたものに類するものを cos1,sin1 も持っています: 
通常の三角関数に比べると,符号を表す sαβ,tαβ の部分が複雑になっています. 


 第5.3節 L1/2 -距離における三角関数 

 では, L1/2 -距離 d1/2 が定められた平面 (R2,d1/2) における三角関数はどうなるでしょうか. L1/2 -距離 d1/2 とは, 
のように定まる距離です. (R2,d1/2) 上の単位円 C1/2 は 
であり,下図のような形状になっています. 


この場合もいままでと同様,点 (1,0) から出発し, d1/2 -弧長 θ だけ進んだ位置にある点の座標を 
とします. 


ここで (1,0) から (0,1) に到達するまでの d1/2 -弧長,つまり第一象限にある単位円 C1/2d1/2 -弧長計算してみましょう.まず |x|+|y|=1 という関係式から,第一象限における C1/2 は関数 
のグラフが描く曲線に等しいものになっています.その曲線は 
と書くことができます. dp -弧長の定義から, 
と計算していくことができます.定積分の形は難しく見えますが,この積分は具体的に計算することができ, 
となります.つまり (1,0) から (0,1) までの d1/2-単位円の d1/2 -弧長は (π+4)/2 であり, 
であることがわかります.

 ここで,この L1/2 -世界での d1/2-単位円の半周長が 2×(π+4)/2=π+4 であることが分かったので,この世界における円周率 π1/2 を 
と定義することにしましょう.ユークリッド単位円の半周長を π と定義したことの類似になっています.この記号を使うと,さきほどの式は 
と書けます.

 また, d1/2 -弧長の式からいくつかの特殊値を計算することができます. 
また,より複雑なものでは, 
などとなります.この世界で三角比計算のテストは絶対に受けたくないですね.

 cos1/2θ,sin1/2θ のグラフは下図のようなトゲトゲした形状になっています. 



 第5.4節 ガリレオ距離における三角関数 

 ガリレオ距離をおさらいすると,次のような関数のことを言うのでした. 
平面上の2点の第1成分または第2成分の差の絶対値のみを抜き出しているような関数になっています. 


これに対しても単位円や三角関数を考えることができます. (R2,dG) 上の単位円は 
であり,形状は下図の通り,無限に伸びた2本の縦線と,原点の上下に2点ついたものです. 


およそ私たちが思い浮かべる円とはかけ離れたものにはなっています.

 この dG-単位円上を (1,0) から出発して θ だけ進んだ座標が (cosGθ,sinGθ) と定義されます. 


その座標はすぐに (1,θ) だということがわかります.したがって 
です. 


わざわざ三角関数の記号を使うまでもないように思えますね.しかし実はガリレオ距離と次に記述する双曲距離の三角関数は,複素数に似た数体系と密接に関係しているのです.このことは次回の記事にて記述するつもりです. 

 第5.5節 双曲距離に対する三角関数 

 双曲距離を再掲しましょう. 
ユークリッド距離の真ん中の符号を変えたようなものです. (R2,dH) における単位円は 
であり,双曲線が四方向に伸びているような形状をしています. 


この世界での三角関数は例によって, (1,0) から出発して単位円 CH 上を

双曲距離で θ だけ進んだ点の座標と定義されます. 


実は双曲三角関数は具体的に表示することが可能です.まず単位円 CH|x2y2|=1 を満たす点 (x,y) の集合なので, 0<y<x の領域に限れば, 
のグラフが描く曲線と一致します.その曲線は 
と書くことができます.双曲三角関数 cosHθ の定義に従えば, t=1 から t=cosHθ までの ˜CdH -弧長は θ になります.このことを式で表すと, 
となります.ここで 1/t21 の不定積分が log|t+t21| となることを用いれば,上式は 
となります.これを cosHθ について解くと 
となることがわかります.また, (cosHθ,sinHθ) は単位円 CH 上の点であることから, cos2Hθsin2Hθ=1 を満たします.この式を使えば cosHθ から sinHθ を求めることができ, 
と求められます.いまは第一象限に限った話をしていましたが, (1,0) から下方向に向かうときの dH -弧長を負とすることにすれば,任意の実数 θ に対して以上の式は成り立ちます. 


これら cosH,sinH を双曲三角関数とよび, cosh,sinh などと書かれます.


 最後に 

 このように,平面上の距離の概念を変化させることによって様々な円や三角関数を見出すことができます. そして,最後の方に紹介したガリレオ距離と双曲距離における三角関数 
そして,我々が通常使うユークリッド距離における三角関数 
ですが,これらの関数はある重要な数体系と関係しています.

 複素数に詳しい人ならば,オイラーの公式 
によって複素指数関数と三角関数がつながっていることを知っていると思います. 

 ガリレオ距離や双曲距離から定義される三角関数も,複素数と似た数体系と関係しています.そのこともいずれ.




 参考文献 



[1] Kevin Thompson,Tevian Dray, "Taxicab Angles and Trigonometry"

[2] Encyclopedia of Math,"Galilean Space"https://www.encyclopediaofmath.org/index.php/Galilean_space

[3] Rob Salgado (2006) "Space-Time Trigonometry"


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