$f:A\to B$ に至るまで


 数学において写像を扱うときによく用いられる \[ f:A\to B \] という矢印表記ですが、Wikipediaで調べると、矢印の記号が写像に用いられたのは1940年のフレヴィッツが最初だったようです。 しかしホモロジー代数など、写像を多用する分野は1800年代後半からすでに台頭し始めています。その時代には写像はどのように扱われていたのか、少し調べてみました

1673年~:ライプニッツ(Gottfried Leibniz)・ベルヌーイ(Johann Bernoulli)・ニュートン(Sir Isaac Newton)

 「関数」という言葉が生まれたのは1673年のライプニッツの手記の中だと言われています。このときは曲線上の点や勾配などを表す量を意味する言葉だったようです。それとは別に、ヨハン・ベルヌーイは「変数 $x$ を使った式」のことを「関数」と呼び始めます。ライプニッツの「関数」を代数的に表現したものがベルヌーイの「関数」であるということに気づき始めたのは1698年ごろでした。当時、関数という概念よりも先に微分の考え方があったため、扱う関数はすべて「微分可能関数」でした。不連続関数はまだ関数として扱われていなかった、というより不連続なものを数学で扱うことすら想像できていなかったと思われます。
 おそらくこの時代は、関数を「対応」としては考えていなかったと思います。定義域や値域といった考え方はまだ明確には生まれていないことになります。

1734年:オイラー(Leonhard Euler)『Commentarii Academiae scientiarum imperialis Petropolitanae. t7』


 $f(\sim)$ という記号を最初に使ったのはオイラーでした。そのときの文献を見てみると、$f(x/a+c)$ のような記述が見つかります.おそらく、関数の式に登場する変数 $x$ を別な式に置き換える操作を記述しようとして, $f(x/a+c)$ という表記に至ったと考えられます。文献には他に $f(X+a)$ や $f(x/\Lambda)$ という表記がありますが、もとの関数の式そのものを $f(x)$ と書いている部分は見当たりませんでした(私が探せていないだけかも). このことから $f(\sim )$ という表記は関数を表すためではなく,代入を表すためのものだったと推測できます.


1847年:アイゼンシュタイン(Ferdinand Gotthold Max Eisenstein)『Journal für die reine und angewandte Mathematik, Vol35』


 アイゼンシュタインは写像の表記に似たものとして、代入(substitution)の記号を導入していました。$x$ を $y$ で置き換えると言う代わりに \[ x\ ∽\ y \] と書いていたのです。文献を見てみると例えば \[ A{∽}B\quad ならば\quad C{∽}D \] という文章は「$A$ を $B$ に置き換えると $C$ は $D$ に置き換わる」というような意味になるようです。

1894年:ペアノ(Giuseppe Peano)『Formulaire de mathématiques: t. I-V.』


この時代、ペアノは写像を表記するときに \[ f=(fx)\overline x \] という表記をしていたようです。これは現代流で書けば \[ x\overset{f}{\longmapsto}f(x) \] を意味しています。文献にあるような \[ f=(x^2-3x)\overline x \] は \[ x\overset{f}{\longmapsto}x^2-3x \] を表しています。また \[ (x^2-3x)\overline x5=10 \] という表記は、無理やり現代的に書けば \[ (x\mapsto x^2-3x)(5)=10 \] となるでしょう。
表記としては「写像の表示式」と「写像の対応」を区別できる書き方になっています。 また、ペアノはその後1900年に、写像の表記として変数と表示式の間に棒を一本挟むようなものも考案しています。 \[ fx\mid x \] これを現代流で書けば $f:x\mapsto fx$ となります。
 一見すると、まだこの時代には写像の定義域や値域を意識した記号はないように思われます。どちらかというと数式の変数に値を代入するという意味合いが強い感じがします。この時代の数学者に対して「定義域が違えば写像としては異なるもの」という説明をしても首をかしげられるかもしれません。

1895年:ポアンカレ(Henri Poincaré)『Analysis Situs』


 ポアンカレは基本群やホモロジー群など、トポロジーの考え方を世に広げた数学者です。 文献『Analysis Situs』の中で、ホモロジーの言葉が定義されています。ホモロジーはのちのちに圏論という分野が 生まれる動機となっていきます。文献の中でホモロジーは、$q-1$次元の多様体 \[ v\f 1,\ldots ,v\f\lam \] に対して \[ k\f 1v\f 1+k\f 2v\f 2+\cdots +k\f \lam v\f\lam \] という形の和全体に、いまで言うところの「ホモロガス」の考え方を導入したものとして定義していました。 

 この分野を勉強したことのある人なら知っての通り,現代ではホモロジーを扱うために,写像の矢印表記をとにかくふんだんに用います.しかしこの時代,まだそのような記述は見つかりません.

 ここから数十年,ホモロジーや複体の考え方が,写像の矢印表記なしに進化していきます.

1929年:レフシェッツ(Solomon Lefschetz)『Géométrie sur les surfaces et les variétés algébriques 』


 1929年当時のレフシェッツの文献を見てみると,境界を取るという操作に関してのみ矢印の記号を使っています.
 1920後半から30年代になってくると,このようにある種の対応を表す際に矢印を用いる文献が増えています.

1940年:フレヴィッツ(Witold Hurewicz)『HOMOTOPY RELATIONS IN FIBRE SPACES』



 1940年代のフレヴィッツの文献を見てみると,"mapping" や "homomorphism" などの用語とともに写像の矢印表記が明確に使われています.

1945年~

 そしてアイレンベルグとマックレーンによって,ホモロジー代数の公理化の名目のもと,圏論という分野が創始されたのは1945年ごろであり,このときを以って矢印の時代が本格的に幕を開けました.




 

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